瓊海市烟塘鎮 大溝村(旧、大石溝村)                

 
1941年6月28日(農歴6月4日)午前8時過ぎ、日本海軍佐世保第8特別陸戦隊に所属する烟塘守備隊の日本兵100人余りが大溝村を襲って、村びと38人を殺した。
 烟塘守備隊は、生き残った村人を脅迫して破壊した家の用材を烟塘に運ばせ、望楼をつくらせた。
大溝懐寃紀念碑 
                     

裏面に犠牲者38人すべての名前が刻まれている
  

黄芳蘭さん(1918年生)
 「当時30過ぎだった。近くに‘慰安所’があるのを知っていたから、連れていかれるのが恐くて山に逃げた。
 わたしの2歳の子どもと、祖母が殺された。夫は‘良民証’を持っていなかったが、屋根裏に隠れて助かった」。
     

瓊海市烟塘鎮 書田村 

 

 1942年3月20日未明、烟塘を拠点とする日本軍が書田村を包囲して、17人の青年を烟塘に連行して、殺した。戻らない青年たちを探しに烟塘に行った両親や兄弟も20人以上、殺された。

書田村犠牲者の墓地
墓地のまえに立つ陳衍炎さん(1927年生)
「17人のうち、わたしの兄だけが逃げて助かった。従兄(陳衍輝)は殺された。
 兄を探しに行った父母と弟の阿吉も、他の村びといっしょに殺された。このあと、遊撃隊に入った人もいた」。
   
前ページ   TOPに戻る 次ページ